たまにはクラシックでも。

<ヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト>天才と呼ばれる彼をパンクと呼ぶのは私だけ?
1756年オーストリア生まれ。体格が小さい割に頭でっかち、青白く母親似で大鼻、髪はブロンドだが癖毛、目は碧が近視。とにかく見た目はひ弱そう。きっと特異な少年時代を送ったから。学校に通ったことなんかなく、子供同士で遊ぶ暇もなく、もっぱらチェンバロ(ピアノが作られる前の楽器。ピアノとは多少作りが違い、弦に近い音を出す)を弾き、作曲をし、演奏旅行をし、大人の社会で育った。流行に敏感で、音楽と女の子大好き。
六歳、演奏旅行でウィーンへ行った時の事。演奏し終わった後転んでしまった彼はマリーアントワネットに起こしてもらったのに喜び、こう言いました。「僕と結婚しよう」…なかなか言えません(笑)
成人になってからも、今で言う中指立てちゃうような口に出しては言えないような事をやらかしたり言ってみたり…(あくまで裏話なので書くのは控えます)。死ぬまで無邪気な少年だったのかな。奥さんのコンスタンツェは苦労したのでは?でもモーツァルト自身愛妻家として知られてる★
1791年12/4 死去前日。黒服の名前も告げない使者に頼まれて書いていた曲「レクイエム」の一部を友人達と試唱途中号泣。
「この曲は自分の為に書かされてたんだ!!」
そんな姿を目の当たりにした人達はきっと何とも言えない気持ちに駆られたはず。最後まで作曲をしている仕草をしながら息を引き取ったとか…。未完成の「レクイエム(鎮魂歌)」を残して。
死因説は多々あり、そのほとんどがジャーナリスティックな面から大きくなったものが多いと思う。その中の1つは毒殺。加害者の1人にサリエリという名前がある。
そう、ラタンスタッフ赤毛タケちゃんのバンド名(笑)★
毒殺説の火種は、本人が【Gewiss~man hat mir Gift gegeben./きっと誰かに毒を飲まされた】なんてもらしたからなんだ。
ホントのとこは?追求したければモーツァルト学会へ出席するべし。その時代感覚の中でこそ“生きた”「天才」。彼の色とか表現方法とかちょっと単純でストレートで私は好きかも☆

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