弔辞

もう、とても昔、About 13Notes in MONORALの結成前のハナシ。
当時、ネギシが『Freak Scene』というバンドでギターを弾いてたトキのこと。
Live後にハコのヒトから、小柄な女性と、知的な男性を紹介されました。
そのヒトたちも音楽をやっているそうで、Freak Sceneと音楽性が近いってことで、見に来てくれたそうです。そして、彼女たちのバンドのデモを渡されました
その女性は夏でもないのに雪駄(ぞうり)をはいてて、曰く、
「これじゃないとワウ踏めないでしょ。ギタリストには必須アイテムだから。」
そうなの?聞いたことないよって。
その時はそれだけ。それが最初。
しかも、Freak Sceneは解散。彼女たちのバンドも解散。
1999年、ネギシは地元でAbout 13Notes in MONORALを結成。
ほぼ同時に彼女達も都内でバンド結成(うち1人は元Freak Scene)。
’00年か’01年。彼女らのバンドのイベントに呼ばれた。
轟音の壁が体験できた。
それが2回目、にして最後。
彼女、自殺したそうです。
たった2回しか話さなかったけど、Liveは1回、HPはたまに、音源はもっとたまに。今にしてみれば、それなりに影響は受けてたなと。
自分をどんどん出していくヒト(だと思った)だったし、共感できる部分も多かったから。
精力的に自己表現してるヒトがいるってことが励みになった。
自分のやることが確認できた。
自己顕示欲が創造力のもとになるって分かった。
エゴを肯定できた。
最近までは、自分の方がもっと良い曲が書けると、もっと上手に音楽をやっていけると思ってて、実はそうでもなくて、周りでも好きなバンドがくつか活動しなくなって。
そんな時に、彼女の訃報を聞いたら、自分はまだやれることがたくさんあるなと。いや、分かってはいるんだけど、失敗したときに言い訳できるくらいのところで妥協してるんじゃないかと。ヒトに嫌われたり、自分が恥をかくのを怖がってるんじゃないかと。
今が夏の終わりで良かった。これから夜が長くなる。
一個人の死を、しかも自殺という事象を、わざわざ文章にして人目に晒す事が不謹慎だとは思いません。
ただ、敬意を表したいだけ。
校正しないでupします。
                  About 13Notes in MONORAL  根岸

コメント

  1. emiko より:

    私が初めて彼女に出会ったのは、CDから流れる彼女のギター音、歌声、詩。鼓動が早くなるのが止められなかった。
    私も彼女には沢山教えられ、影響も受けました。
    前衛的で立ち止まらない姿。
    華奢な体から放り出される音は、強いようで儚くどこまでも繊細で、一つ一つの細い糸を切らないように大切に繋げていく様に胸を打たれたのを覚えています。
    言葉や音を大事にしていく事、大切に扱う事、見逃さず拾い上げ突き詰めていく事、自分の温度を重ね合わせる事。
    そうする事によって初めて自分の生んだモノの温度を感じられる。
    キレイゴト?じゃなく、ほんとに根っこの部分、基本だと、ただそう、単純に、彼女に感じた。
    すごいと思った。
    私の中での存在は大きかったです。
    彼女はどんな世界を見て、どんな現実を生きてたんだろう。
    離れてるから余計なんだろうけど、まだ実感してません。
    -彼女と死-
    「まだ夢のようだよ」という彼女のバンドメンバーの言葉が今は痛くて。
    できる事なら夢であって欲しい。
    そう思いたいです。
    また私の中のモノ、かき乱してくれるんでしょ?って(苦笑)。
    これからも今までと変わらず彼女たちの生んだ音は聴き続けます。でも、この先も自分にいろいろな形で影響を与えてくれるであろう彼女に、一度も良い言葉を伝えられなかったのが悔しくて。きっとコレを聴く度、そういう感情に打ち拉がれるんだなと。
    時とともにどう聴こえるか分からないけど、私の中の彼女の姿は、ずっと真っ直ぐなままです。きっと。

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