「ベラルド・コレクション 流行するポップ・アート」展

2005.2.19(sat)~3.27(sun) 於:群馬県立近代美術館
に行ってきましたとさ。
悪ふざけを真剣にやるとこうなるのか。
精神的な余裕と天の邪鬼な性質の産物か。あと反骨精神も少し入ってるか?
PopArt例えば、
「カバン・膨張」/セザール
カバンから銅が膨張して流れ出してるオブジェ。
なんか良かった。理由は解らない。
意味も考えない。
さらに例えば、
「冷蔵庫」/クライブ・パーカー
ミッドセンチュリーな冷蔵庫の中のモノを片っ端から銀メッキ。
1点だけアクセントに色物(メッキ加工はしてない)。
これも良かった。理由は解らない。
意味も考えない。
こうゆうのって『それがどうした?』で済まされる可能性大。
でも、自分の想像通りにこれらの創造品の始まりが【悪ノリ】だとしたら、当然。
解るか解らないかはその人の【ノリ】だから。
 いくら【Pop】とはいえ、分からないモノもあるし、別にアートに詳しいわけでもないし。
 いわゆる【ポップ・アート】を芸術作品たらしめてるのは鑑賞する側の余裕かもしれないし。実際まぎれもなく芸術作品だと思うけど。
 いずれにしろウォーホルの【Pop】加減は半端じゃなく、【普遍的】というのは難しいなぁと思いつつ、いや、だからそういうモノを【Pop】って言うんだろって納得しながらも、ただ単に見慣れてるだけかも、なんて自分の感性を疑ってみたりする土曜日(今は2日後の月曜日)。
でも、【悪ノリ】っていう捉え方は正解じゃないかと思うんですけど。個人的に。
All Tomorrow’s SAMO】,【About13Notes in MONORAL】(筆者の加入している(た)GuiterPopバンド)の楽曲全部に【悪ノリ】の要素が入ってるし、知り合いの映像制作集団の作品はほぼ100%【悪ノリ】。
だと思う。違うかな。
どうなんですか?hondaさん。もし、このblogを見かけたらコメント下さい。

コメント

  1. honda より:

    小学校の頃、クライブ・バーカーって人のホラー小説を何冊か読んだ記憶あり。たぶん別人。エログロテイスト満載。
    「悪のり」。映像制作にあたりうちのチームが異色だと良く言われる理由の一つに監督が二人という点をよく指摘される。ので、自分の分野からのみ見た意見です。
    うちの作品は、確かに「悪のり」していると思います。(稚拙ではありますが)脚本を書いている時、自分は良く出演する役者たちの顔を想像しながら書きます。あと、鏡を見ながら書いたりもします。ようはセリフを鏡に向かって言いながら、そして自分の顔を他の役者の顔と重ねるように妄想しながら書きます。ええ、ご想像通りかなり気持ち悪い人です。誰もいない海、否、部屋で一人でブツブツ言いながら書く男。拳を握り立つ女と似たようなもんです。
    話しそれました。そうすると現場に行った時、役者がそのセリフを言う時の雰囲気を思い出します。もちろん画面は小林氏の分野なので、「このセリフの時のSちお君の顔面白いんだけどなあ」などと一人思ったりしても引きの画だったりするわけです。そんで、肝心の悪のりですが、演技をしている時、決まっていたセリフ以外の言葉や行動が現場で出て来るときがありまして、それを役者間で楽しみだすともう止まらない。カメラを回す小林氏も拳を握り立つ男に変貌です。ですので当然カットされます。じゃ意味ねぇじゃんとなるのですがそれがなかなかどうして、いい具合に悪のりテンションでやった演技は非常に魅力的に写ったりして小林氏もここはやはり当初の絵コンテにプラスして使ったりなんかしちゃったりなんかする時もあるみたいです。この辺は小林氏に聞いてみてね。
    とにかく悪のりという要素は多分に含まれている事は確かです。それだけでは駄目かもしれませんが。
    芸術は私もわかりませんし、映画も音楽もそんなに良くわかっていないと思います。でも、人が行動する時のエネルギーは、「それが好きだ」と言うこと、なんかもう辛抱たまらんからやってしまえっ!てな感じでノリで行ってしまう。なんつーか、ノリ=好き=たまらん=エロ本 みたいな感じでしょうか。そういえば、うちの作品の LOVE BEERの中にもそういう悪のりシーンがあった気がします。あん時も小林氏に編集どうすんだよっと苦笑された憶えがあります。

  2. negishi より:

    おーっ! ありがとうございます。!!
    まさかこんなに熱く書いてくれるとは。
    そして『ノリ=好き=たまらん=エロ本』のフレーズでまた1つ大人の階段を登るのでした。

タイトルとURLをコピーしました