知り合いにガウディの本を貸してもらった。
それによると、
本名:アントニ・ガウディ・イ・コルネ
歴史的建築家。
理論嫌い、ヘビースモーカー、ロマンチストで頑固者で恋愛ベタ、
だったらしい。
この手の芸術家にありがちな、ダークな部分がほとんどない。
純粋なアーティストだったのかも。
パトロンであり、主な依頼主であるアウゼビ(エウセビ)・グエル。このヒトもクリーン。
優秀な弟子であり、建築家ジュジョール。タイルの破砕張りはこのヒトにほぼ一任。
いきなり断食を決行。その後『建築は神に捧げられたものでなければならない』といわしめるほど敬虔なクリスチャン。思考・行動力は宗教に基づいていたとも。
奇跡的な出会いと、確固たる信仰心。そんな土壌がある中で、
1番有名な作品=『サグラダ・ファミリア』の専任建築士に。
着工121年目にして、いまだ未完の大聖堂。
しかも、
「彼の描いた設計図どおりに進めるのであれば、あと200年は完成をみないであろうと言われている」 !? 自分の作品の完成は見なくていいのか?ちょっと分からない感覚。
とにかくガウディ31歳から74歳(?)で死ぬまで生涯を賭けた作品。
「完全なものは1つしかなく、しかもこの世にはない」
何となく分かるような気が。完全なものを目指したとか?
ガウディ自身は、完全なもの=自然だと認識してたらしいが。
作用反作用の法則からして、世界が中庸なものだとすれば、1つのベクトルは、逆方向にも同量・同質のエネルギーを持ってて、偉大な創造性は凶暴な破壊性を内包してるんじゃないかと、最近思えて。いや漠然と。
意識を傾けて何か創ってるときは、知らないうちに何か別のモノを壊してるっていうか。あんまよく分かんないんだけど。
もし壊れたモノが、グエルとの人間関係だったり、信仰心だったりしたら、人生の拠を失っても『サグラダ・ファミリア』への情熱を持ち続けることができたのか?それともそんな類の話じゃないのか。
いずれにしろ何かに人生を賭けられたのは幸せだ。『サグラダ・ファミリア』は物理的なモノだし。
今はただ壮大なモノを見てみたい。
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